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手段を択ばなければ、目的の実現可能性は大幅に拡大する

何度も言っていることなのですが、私が最重視してきたことは手段を択ばないで目的を完遂するということでした。他人からはどういわれようが、どう受け取られようが、そんなものはどうでも良く自分が手にしたいと思うモノに対し、手段を択ばず全力投球してきたわけです。

逆に言うと、もしある人がが手段を選んでいるのであれば、その人はまだ本気でないといえます。
(そもそも本気になれば、なりふりを構っている余裕はなくなります。ただ、これは間違いのない事実なのですが、これを指摘すると一部の人達を傷つけることになるので、普段はなるべくしないようにしています)

 

よく人は努力は必ず報われるとか、努力は裏切らないというようなチープな言葉を他人(ヒト)に投げかけますが、意味のないことです。努力は必ず報われるとは限らないということは誰でも知っていることだからです。

ここで重要なことは努力の結果どうなるかということではなく、「まずとにかくやってみること」「自分のやるべきこと、やりたいことから逃げないこと」ことだと思います。
私は努力の結果、大失敗をしたり、大恥をかいてきたことは何度もありますが、その行動を起こした自分自身を誇りに感じています。

こういうのを本質的な意味にて「努力は必ず報われる」と言うのではと思っています。命がけであって、いつ死ぬかわからないような体験を乗り越えると、必ずそのことは深い想い出になり、常にその体験がその人自身を人生の荒波から守ってくれるようになるのです。過去にあれだけ酷い目にあったのだから、こんなことはどうでも良いと思えてくるわけです。

私は海外で考えられうる最悪の状況に幾度となく置かれていましたが、そのおかげで涙は枯れ果てました。今では何が起きようがほとんど何とも感じない人間になっています。要するに、涙だとか悲観という邪魔な性質をとうの昔に私は捨ててしまい、積極性・攻撃性に完全にシフトチェンジしてしまったわけです。さもければ、厳しい海外生活は乗り越えることは絶対にできなかったはずです。

この話がパニック障害と何の関係があるのか、「それは単なる精神論なのでは?」と感じる人がおられると思いますが、大いに関係します。

私が言いたいのはパニック障害を完治させるには、手段を択ばず自分の目的を完遂することに注力すべきだということです。というのも、手段を択ばなければ目的実現率は極大化するということ、そして実際に行動に移すことのできればその体験自体があなたを守護神のように常時守り続けることになるからです。そうすれば信じられないほど精神は図太くなります。

手段を択ばないで行動するというとサイコパスのように聞こえるかもしれませんが、部分的には良い意味でのサイコパス性は誰しも必要だと考えています。

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