外部に意識を置く瞑想法をしていると、対象物と自分が一体化したかのような状態になります。これを禅定(ダラーナ)と形容します。
例えば、黒点瞑想をやっていると、集中力が高まれば高まるほど、壁に貼った半紙の黒点が大きくなってみえます。(黒点を望遠レンズを使って見つめて、度が強められて行き、ドアップになっているかのような感じ)さらに続けると、自分自身が黒点そのものになります。
こう書くと頭がおかしいのではないかと思う人が少なくないと思いますが、瞑想だとか座禅だとかの修行というのは、真面目にやっていればこういう不思議な経験を誰しも経験することになります。古来からの禅匠、ヨガ行者の遺した伝書、書き物を読むと必ずこの種の経験談が記述されています。
私は瞑想中に世界が螺旋状になって自分の中に入り込んでくるかのように錯覚する異様な経験をしたことすらありますが、こういう小さな悟り(≒気づき)を何度も繰り返していくうちに人は変わっていきます。
例えば自分が庭木の土を凝視して瞑想していたとします。深い瞑想状態=三昧(サマディ)に入ると、自分自身が土の粒子になったかのような意識状態になります。まるで、自分がその土の上に住んでいる虫になったかのように土がドアップになって見えてきます。(この時身体感覚は喪失します)
↑米粒に般若心経を掛ける人がいますが、そういう人は間違いなく三昧状態を経験しています。
或いは、先ほども話した通り、半紙に点を書き壁に貼ってそれを凝視するトラタカという瞑想をしていて、三昧状態(サマディ)に入ると黒点が極大化して、あたかも自分自身を包み込むかのように、極限的に大きく見えてきます。
弓道家が的を射れると確信できるほど集中力が研ぎ澄まされている時、いつもより的が大きく見えるという話や、ボクサーが自分が負けるとき、相手が異様に大きく見える(相手がかなり小柄でも)と証言するのも同じ話です。
こういったときは、時間の間隔は喪失し、身体感覚も消滅しています。座禅や瞑想の修行を真剣に積んでいけば、このような経験を誰しもが積んでいくことになります。(座禅や瞑想を長年行っていてこのような神秘体験をしないというのは逆におかしな話になります)
釈尊が言ったように、「世界は認知(心≒脳)が作っている」というのは本当の話です。
死んだら人は世界に還っていきますが、世界(宇宙)そのものの一部の分けであり、一部ということはあなたはこの世界(宇宙)であることを意味します。
瞑想をすると、そういう構図の一部を垣間見ることができるといえるでしょう。リラックスすればするほど瞑想は深くなっていきます。
強迫症状で苦しんでいる人はリラックスが致命的にかけているので、まずはハタヨガなどで筋肉をほぐしていくと良いのです。
十分ハタヨガの習慣がついて柔軟性が身についてきたら、瞑想も習慣化していきます。1回20分以上は行えると良いでしょう。
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(瞑想の方法:)
モノを見つめるトラタカがお勧めです。
・半紙に黒点を書いて壁に貼り、それを見つめる。
・ロウソクに火をつけて、それを凝視する。
・香炉の線香の先端を見つめる。
・目に入る空間全体に意識を置き続ける。
・・・・・・・何でも構いません。(座り方は背筋が軽く伸びていれば、何でも構いません(無理に背筋は伸ばす必要はありません。自然な感じ))
人間は目の動きを止めると、思考もとまりますので、何かを凝視するという行為は集中力を高める効果があります。
集中力が高まるほどリラックスできますので、瞑想は深くなり、同時に強迫症状もどんどんながせるようになっていきますので、一石二鳥、三鳥の効果が示現されることでしょう
〇強迫性障害を自力で克服 (←ブログ記事一覧へ戻る)