私の強迫性障害克服体験談

(最終更新日:2023/08/09)

私の強迫性障害克服体験談

 このページでは、私の強迫性障害の克服体験談について詳しく記載していきます。私は他にも似たようなページを多数、別サイトで持っている※のですが、このブログにおいて、まだ強迫性障害に対する克服の体験談を書いていないので詳述していきます。(※理由があります)

繰り返しますが、私は強迫性障害の他にも感情系精神疾患を抱え込んだのですが、このブログは強迫性障害についての克服情報提供のブログであるため、便宜的にOCDに的を絞って記述しています。

特に浪人~大学時代に克服のためのヒントがあります。

この文章は、結構な長文なので時間がない方は、目次から飛ぶことができるので、そのパートのみでも読まれると良いと思います。
(2018/09/19更新:)音声の方を追加しました。↓


↑私自身が動画で過去の私の状態を詳しく解説しました。

発症:10~12歳頃(小学校~中学校1年)

もともと私は過度に繊細な子供だったのですが、考えてみるとこの発症以前の当初から強迫性障害の兆候は既に見えていました。

たとえば、「私は他人と話すということに極めて強い労苦」を覚えており、当時、友達から話しかけられると、脳がフリーズしてしまい、

[note note_color=”#FFFF66″ text_color=”#333333″ radius=”3″] ・「喋ることができない」
・「Yes-No形式でしか回答することができない(自由回答形式の会話がほぼできない)」
・「常に重い吃音が出てしまう」
・「モノを過度によく失くす」
・「計画性が皆無に近い」
・「適切に感情をコントロールできない」 [/note]

というような脳の機能異常を示唆できる障害のようなものを既にその頃から抱えていました。

学校での勉強は、そこそこできたほうだったのですが、社交性というかコミュニケーション能力が限りなくゼロに近く、ソーシャル面のコミュニケーションスキルが過度に欠乏した子供でした。

(そのため、他人からは普通に見えていたようで、私個人の問題点が、長期間、客観的視点から露呈することはありませんでした。「学校の成績は良い方であった」ため、脳の機能障害を抱えているということが傍目にはわからなかったのであると思います。)

前置きが長くなりましたが、私が強迫性障害を本格的に発症したのは、小学校高学年から中学生にかけての年代※で、特に中学校に入ったころから、その症状は顕著に発現していくことになりました。
(※実際、この年代(思春期)に多くの方が強迫性障害を発症することで知られています。)

過去の私の強迫性障害の症状(箇条書き)

〇食事をとれなくなる

たとえば、母親が作った食事に毒が入っているのではないかという猜疑心が極端に強くなり、食事をとることが難しく※なりました。
(※特に症状が悪化していた時。中学2年頃。)

〇ゴミを捨てられなくなる

また、ゴミに愛着がわき、ゴミを捨てることができずに、家族によって捨てられたゴミを収集所から自ら回収しに漁りに行くという異常行動をとるようになっていました。
(自分でも自分の行動のおかしさに気づいていました。※これも中学時代の話です)

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〇加害恐怖

他には、加害恐怖の症状がありました。一緒にいる誰かに対する嫌な連想、考え、イメージが頭に次々と強迫観念として湧出し、その嫌な考えが会う人会う人ごとにほぼ例外なく生じるため、誰かと一緒にいることが苦痛以外の何物でもなかったというのがこの頃の素直な実感です。

地獄以上の地獄といった様相を呈していました。

私にとって、この加害恐怖が最も苦しいものでした。

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〇同じ質問を他人に繰り返す

同じ質問を他人に数限りなく繰り返さなければならない(不安になる)という強迫観念に捉われていたため、家族や友人に異様なほど全く同一内容の質問を繰り返すという強迫行為が続きました。確認強迫です。

自分では、不合理で意味がないことだとわかっていても、異常な恐怖感、不安感から、他人(主に家族)を巻き込むこともありました。これは中学生時代の話です。

〇どもり(吃音)

吃音があったので、喋るということが極度に困難な状態でした。強迫性障害で吃音を併存している人は多いようですが、私個人も御多分に漏れず、吃音が酷かったわけです。

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学校で先生から音読を促されると、緊張して何度も詰まってしまい、話をすること自体がトラウマになってしまいました。

吃音があったため、「喋るということ自体が、その後の人生におけるある時点まで苛烈なトラウマになっていった」わけです。

〇文字の書き消しの繰り返し

試験のときや宿題を出された折、常に文字を書いては消して書いては消してを繰り返していたため、試験や宿題をこなすのに非常に時間がかかり、作業に異常なほどの支障が出ました。不完全恐怖があったのでしょう。

やはり不合理なことで苦しんでいるということは頭では理解していたのですが、この行為を止めることはできませんでした。

〇汚染恐怖、疾病恐怖、不潔恐怖

何か重篤なウィルスや病気にかかったのではないかと過度に不安になり、検査のために医者を受診することを繰り返していました。潔癖症もありました。

自分でも正直、まったく意味が分からなかったのですが、自分の感情でコントロールできるような衝動ではありませんでした。

〇縁起恐怖

「何か不謹慎なことをしてしまったのではないか?」と不安になり、儀式的な行動を反芻することを繰り返していました。

例えば、友達を傷つける発言をしてしまった、不健全な物事への対処をしたと自覚した時は、儀式的な行動に時間を費やし、それをやり終える(数時間は要しました)と、気持ちが楽になっていたと思います。

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上記症状のこれら体験談は私のYouTube動画においても説明しています。

コラム1:強迫観念が不合理なことであることには気づいていた

自分の頭では「自分が不合理なことをしている」「不合理なことで悩んでいる」と気づいてはいたのですが、たとえば、「毒を盛られたのではないか?」ですとか「ゴミが捨てられては可哀想だ」などといった意味の分からない強迫観念が頭にまとわりついて離れず、それによって、苦しめられることになっていたわけです。


↑過去の私の強迫性障害の実際の体験談(症状について)

しかしながら、当時の私は学校の成績は前述のとおりそこそこ優秀であったため、家族を含めて友人も、先生も周囲の人間も誰一人として私の異常に気付くことはありませんでした。(親戚の人や周囲の人間には将来君は医者か弁護士になるのだろうとエリート扱いされていたのを覚えています。)

このような毎日毎日、無間地獄のような日々が延々と続き、中学2年、3年と学年があがるにつれて、症状は劇的に悪化していきました。(強迫性障害は適切な対処をしていかないと悪化するものであるということを強く痛感しました。)

これらの症状は下の方でも書いていますが、高校を卒業するまでずっと続いていきました。

コラム2:加害恐怖が最も苦しかった

話を戻しますが、中2くらいになると、今度は加害強迫が現れ、一緒にいる相手(友人、家族など)に対する悪口を強迫的に頭で考えてしまい、その罪悪感に酷く脅かされることになりました。

相手に対する悪い思考、考え、イメージが自然と頭の中で強迫観念として現れ、その考えが消えずに毎日毎日地獄のような様相を呈することになっていたわけです。

そのため、誰かと一緒にいるのがまがうものなきほどの地獄としか思えず、一人になりたいといつも考えていました。

最もつらかった症状がこの加害恐怖でした。

強迫性障害克服への過渡期:高校

このような状態がえんえんと続いていったため、高校に入っても青春もクソも何もないような灰色の青春が私を待ち構えていました。

周囲の人間たちは勉強に、部活動に、恋愛に、いわゆる青春を謳歌していたようですが、私はそれ以前の状態にとどまっていました。

■「生まれながらに不幸を約束された人生。」

■「悲惨という言葉は私のためにある。いや、これは地獄だろうか?」

そもそも、青春を謳歌すると言っても、これらのアクティビティは、必要最小限度のコミュニケーション能力あっての代物でしょう。

「私には一切こうしたコミュニケーション能力は存在していませんでしたから、どす黒い青春を甘んじる他、方法は存在しなかった」のです。

灰色の青春以前の問題だった

しかしながら、当時の私はコミュニケーション能力が過剰に欠乏しており、ハッキリ言って、「それどころ」では一切なかったわけです。

高校時代には強迫観念がさらに悪化し、
なんと「他人に愛着感を覚える」
「異性を好きになる」
という意識(実感)すら私の中でわけがわからなくなっていました。

というのも、
ある異性を好きになった時もそれが強迫観念によってもたらされたものなのか、或いは自分の本心によるものなのかすらもわからなくなっていたということです。

毎日毎日、来る日も来る日も、わけのわからない強迫観念に苦しみ、どうしようもないような状態に陥り、当時の心境を述懐すると、「とにかく青春なんて何もなくてもいいから、この強迫性障害の強迫観念から解放されたい!」というのが素直な実感だったわけです。

強迫性障害の本質

このように、強迫性障害では不合理な考えに捉われているため、まともな生活、人生を送ることができなくなります。

広義的に見れば誰にでも強迫観念はもちろん健康な人も含めてあるものなのですが、これにとらわれ過ぎて、まともな社会生活、人生を送ることができないような状態になった(ている)人のことを強迫性障害と精神医学では定義するわけですし、実際、そうでなければいけません。

強迫性障害の克服の兆し:浪人時代~大学時代

そんな私に強迫性障害の克服に向けた第一歩といえる躍進劇が始まったのは高校を卒業して、大学受験のために1年間の浪人生活を体験してからでした。

この浪人時代に私がはじめたことは、自分の体を鍛える、すなわち運動、筋トレ、ヨガの習慣をつけることでした。
また、以前は縁のなかった読書の習慣もつけ、さまざまな文学作品や実用書、脳科学、心理学関連の専門書を読み漁るようになりました。

もちろん、受験生だったので受験勉強にも熱を入れました。

克服の体験談といえるエピソードの始まり

運動の習慣は、毎日5~10kmは走るジョギングをしながら、腕立てや懸垂、腹筋といったオーソドックスな筋トレを実行し、読書量としては、毎日、本屋へ行って、週に7冊は最低、本を読むようになっていました。

(関連:)
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また、受験勉強は朝から晩まで、予備校に通う電車の中でも、街を歩いている時でも、構わずどこでもいつでもやっていました。
(頭の中で覚えた記憶を再現し、記憶として鮮明に定着させる練習)
そして、毎日10時間以上は机に向かってもいました。

このような考えている暇のない忙しい生活を約1年間の浪人生時代に実践していくうちに私にあった強迫性障害の症状が劇的に緩和していったわけで、正直これには驚きました。
昨今、「強迫性障害の克服に運動が良い」といわれていますが、私の場合では「運動をしっかりやりながら、しかも忙しい生活(悩んでいる暇のない生活)を実行したことが効いた」のだと思われます。

「やればできる!」

このことを契機に私は自信を取り戻し、「やればできる」という土性骨(どしょうぼね)のようなものが自分の中に芽生え始めたことに気づき、好きな異性に告白する勇気もモテるようになったわけでした。

その後、大学に入ったのはいいのですが、当時の私には、周囲の学生のレベルが酷く低く映ったため、それは当時の私には耐えがたいことでした。

そこで考えたのは、

「こんなくだらない学生生活を送るくらいなら、軍隊に入った方が自分のためになるのではないか?」

という大疑問でした。

思い込んだら命懸けみたいな極端さが当時の自分にはあったので、反対する両親を説得して即実行しました。

当時の私は精神の強さのみを求めていたわけです。

そのため、実際に旧日本軍の諜報員だった人物にコンタクトを取り、実際にお会いさせていただいたりして、随分とそれら人々の勇敢さ、インテリジェンスの高さに強い憧憬を覚えたものでした。

強迫性障害の克服と終焉:自衛隊

そのように、さらに強靭になりたいと考えた私は自衛隊に入隊することを考え始めます。

そのために、故郷に戻り、日夜、体力錬成に勤しむようになり、その成果は確実に出て、入隊後に行われる体力検査では中隊で前から数えた方が早いというような状態になっていました。(賞与を実際に授与されました。)
この頃には、すでにもう強迫性障害に悩まされることはありませんでした。
(しかしながら、過剰な神経質さ、神経の過敏さは残っていて、それが気に食いませんでした。それを差し引いても劇的な改善が起きていたわけです。何故かというと「人間失格」どころか「コンマ以下の人間だった」わけですから。)

できない能力でやる工夫

営内生活では、集団行動が重んじられるため重度のコミュ障であった私にはかなり役に立ちました。
何故かというと、私はOCDの症状が存在していたことのみならず、さらに兄弟がいないため、自衛隊は良い社会生活のコミュニケーション能力の練習場と当時の私にはなったわけです。

「朝から晩まで他人との共同生活をし、必要最低限度の社会的なルール、マナーというものを学ぶことに成功した」と思っています。


結局、自衛隊は約半年程度で除隊することになるのですが(イライラがつのり周囲を見下し始めた)、この頃になると、強迫性障害の主要な症状は、ほぼなくなっていました。

また、周囲の人間から、「変わったね。」と、何をするでもなく自然と、よく言われるようになっていました。
客観的に見ても実際に変わったのだと思っています。

強迫性障害の克服体験談(まとめ)

✅ここまで私の強迫性障害の克服体験談を書いてきましたが、克服に効いたのは、運動(有酸素運動、筋トレ)の習慣にプラスして、考えている余裕のないような忙しい生活を送り、自分のやるべき課題に集中したからだと思っています。

[box title=”考えている暇のない忙しい生活習慣が強迫性障害克服に効く”]森田療法の森田正馬は東京帝国大学在学中に、神経症の症状の悪化に伴い、落第の危機に見舞われたことがありましたが、彼は「もう死んでもいいからとにかく勉強しよう」と覚悟を決め、日夜、学習に明け暮れる日々を送っているうちに、神経症の症状は出なくなったといっています。

このときの体験をベースとして、東洋の神経症克服法として名高い森田療法を着想していくことになるわけです。 [/box]

私の場合も、運動に集中しつつ、やるべき課題(受験勉強)に意識をずっと向け続けていたことが、この障害の克服に効いたのだと実感しています。
(
※最も、この森田療法的アプローチも限界が存在します。)

(関連:)
強迫性障害を生活を正して克服
強迫性障害を自力で克服するのに大切なこと

コラム:Yさんの克服体験の事例について

[note] 私のクライアントになったYさんは、何をしてもどうにもならなかった強迫性障害の症状がありました。強迫観念に四六時中苦しめられ、寝ている時間以外は常に強迫行為に悩まされ、心身は疲弊し、疲れて果ててしまっていたと言っていました。

私がYさんにオススメしたのはSecret Medicineを飲むことでした。  というのも、彼女の場合、中度以上の症状を呈しており、運動やマインドフルネス瞑想だけでどうにかなるレベルではないと判断したからです。 彼女は、そのSecret Medicineを飲むようになり、数週間程度たったころ、一通のメールが私の所に届きました。話によると、それらのものを飲むようになってから、強迫性障害の症状が消滅したといった内容のモノでありました。

本人曰く、奇跡だそうです。 これは私にとっては当たり前のことなのですが、彼女は何もそれらの効果を知らなかったわけであり、彼女が奇跡と感じたのも当然のことであるのかとは思います。

今では、職場に行ったときに特に頻発していたような強迫観念に捉われることはなくなり、フィアンセと無事、結婚することもできたと最近、嬉しそうに私に報告されました。このように、強迫性障害の克服には裏道が存在しているわけです。 絶望しては決していけません。[/note]

神経質という厄介な気質の私の克服経験

ちなみに、私が強迫性障害の克服のみに飽き足らず、神経質という厄介な気質自体の克服にまで成功したのは、その後、海外の大学で医療実験を受けるようになってからです。


↑私が医療実験に参加したロス・エンゼルスにあるUCLAの研究施設

神経質さの克服というのは奇矯な形容ではありますが、実際にこのようなことも可能になってくるのは真実です。

当時の私からは信じがたいファクトです。未来、どのような人生があなたに待っているか誰もわかりません。「盛者必衰の理を表す」もあれば、「下剋上」も、ありうるということです。


そういうわけで、やるべきことをすべて貫徹するまでは諦めないという姿勢がとても大切になります。

この私の強迫性障害克服体験談が少しでも参考になれば幸甚です。
不可能の壁を押し、「毎日1mmでも良いので前へ前へ前進しよう」という気概を最後まで捨てなければ、実際に、この障害を克服することができるでしょう。

当時の無能な私でさえできたことです。(私ほどの落ちこぼれはそうそう発生するモノではないと思っています)

ですので、多くの方には確実に明るい未来が待っているはずです。

強迫性障害を本当に克服したい方は私の個人指導を受けるのが最短ルートです。

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