強迫性障害も重度ほど治りやすいという矛盾
強迫性障害も重度の方が治りやすいです。
重度の人ほど追い込まれています。
苦しみも半端なモノではありません。
苦しければ苦しいほど、人間は行動を起こします。
重いひきこもりが両親が亡くなり、はじめて外で働くようになるのと一緒の話です。
ですので、逆説的になりますが、重度の人ほど強迫性障害も治りやすいと私は主張するわけです。
この類の人は過去の私のように手段を選ぶことがありません。なりふり構わずただ問題に直面し、それを必死で解決するという姿勢は禅の境地です。
傑僧と言われた山本玄峰が言っているように、
「渋柿のみが甘柿になれる」
という話です。
また、同師が言った
「悪にも強い奴が善にも強い」というのもそういう話です。
大悪党ほど改心したら大善人になる素地を持っています。
修験のような行の世界に元極道がいたりするのはこのためです。
中途半端が一番救われないということを要するに山本玄峰はいっているわけです。
斃れて後已むを地で行った山本玄峰山本玄峰は傑僧ですが、その半生は生半可なモノではありませんでした。孤児であり、親はなく、寒村の貧困生活を余儀なくされ、青年期初期に視力を失う。
その後、死に場所を求めて、放浪の旅に出るが、出雲崎で行き倒れになっているところを地元の人間に救われる。さらに、その後、四国遍路を決死の覚悟で行うが、33番札所である雪蹊寺の前で斃れる。雪蹊寺の山本太玄和尚に介抱され、事なきを得るが、太玄和尚の姿、生き様に感銘を受け、出家するに至った。
山本玄峰の所(三島の龍沢寺)には、政界、財界の要人が常に出入りし、その教えを求めていた。
「耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び・・・・・・」という玉音放送の全文を草稿したのは玄峰である。
また、血盟団事件の首謀者、井上日召の弁護を行ったことや昭和のフィクサーと言われた田中清玄が感服した人物としても名高い。
私が山本玄峰を知ったのは、四国遍路の折、”雪蹊寺にて”であった。
(参考ファイル※PDF)
・戦後のフィクサーたちの参禅
逆に言えば、劣等生であればあるほど、化けるということです。
本物の苦しみを嘗めているのであれば、必ず化けます。努力は必ず実を結ぶでしょう。
私はこのことに確信を持っています。
死ぬような思いを本当にしてきた人間が凡夫で終わることはありません。
先の世界大戦で激戦区に送られ、生還した人は大松博文監督の話ではありませんが、
途方もない生命力を持った、どこか凄めいている超人的人物が多かったという多数の証言が寄せられているそうです。
(保阪正康氏の著書より)
●強迫性障害を自力で克服 (←ブログ記事一覧へ戻る)