強迫性障害になるのは幼少期に原因があるのか?

(最終更新日:2023/09/04)

強迫性障害になるのは幼少期に原因があるのか?

 

✅一般論として、強迫性障害に限らず、幼少期であればあるほど環境から受ける影響は大きくなります。
幼少期は、頭の中がまっさらな状態で良く言えば白紙の状態です。子供はこの時、親に教え込まれたこと、親が作り出した家庭の雰囲気または環境、両親の言動や行動を肌で感じて、学習していきます。

 

「三つ子の魂百まで」と言われる所以はここにあるわけですが、私は臨界期※論者ではありません。

そういう意味では、強迫性障害になる人は幼少期に原因があると言うことも可能です。
(もっともこれはあくまでもフロイトを始祖とする古典的心理学で提唱されてきた理論で、実際は一枚岩では全く持ってありません)

※臨界期仮説とは

 

主に言うと性格形成には臨界期が存在するという理論です。(ピアノやバイオリン演奏などに必要となる絶対音感には臨界期が存在することが知られています)

臨界期とは、脳があることを学習できる臨界の時期であることを文字通り指し、その臨界の時期を超過してしまうとその能力の獲得に失敗してしまうという理論となります。

 

性格形成には恐らく臨界期は存在しないと言うことができる【私や知人の経験談】

 

強迫性障害になるのは幼少期における親との関係ですとか、育てられ方などといわれることがありますが、これは強迫性障害になる全要因のほんの一部に過ぎないと考えております。

これは私の経験談やごく身近な知人または生き字引になる方々を見ていて感じたことなのですが、人間というのは人生経験や訓練によって物凄く性格は変わります。

東洋の魔女の例:

東洋の魔女とは1964年の東京オリンピックで金メダルを獲得した日本の女子バレーボールチームの異名です。

鬼の大松こと大松博文監督の指揮の元、彼女らは常軌を逸する血を吐くようなトレーニングを10年間も日々休むことなく続けてきたと言います。(正月も練習)

その中で、当初、気弱ですぐに泣いていた選手がしまいには「何この!」と立ち向かってくるような人格に変わってしまったと言います。

例えば、キャプテンの河西昌枝選手のことを大松監督は以下のように語っています。

あいつこそ、土性骨といい、根性というモノは、あるものではなくて、つくられるものだ
ということを示す見本のようなやつ
だ。

あんなに良く泣く奴はなかった。いわれないうちからもうなく選手だった。それがいまでは、なにをいわれても泣きもしないし、むしろ、”なにを”と、向かってくるくらいの選手になってしまった。”

また、レフトの谷田絹子選手のことは

人は、体質も気質も変えることが出来る。悪いじゃまな性質を、また、弱いからだを変えることが、自分に勝つことであり、それがハードトレーニングだ。谷田ほどそれをやってのけたやつは珍しい。
あいつの病気は腸の筋肉がはれるというやっかいなものだった。

・・・・・・省略

だれでも、自分を見捨てないことだ。それがよりよく生きる道だ。日陰のひまわりよ、などとすねても、すねっぱしにならないことだ。ひまわりは人間が移し植えてやらない限り、動くことはできない。
ひょろひょろと伸びるほかあるまい。
しかし人間は違う。意志し、行動することによって、谷田のように、自身すら知らない力と自分の世界を獲得できる。
病気に負けて死ぬものもあれば、あいつのように病気を踏み台にして、自分を鍛え上げるやつもいる。”

大松監督が人は変わるという痛烈な実感に確信を持つようになったのは戦争体験にあったといいます。
以下、大松監督の戦争体験(インパール作戦への従軍)についての幾つか本人による証言を記載します。

よくもそんなに変わったものだ

”世界選手権を取って帰国したわたしたちのことを、新聞・雑誌やテレビで知った全国各地から、たくさんの手紙が届きました。

大松君、きみは変わった。坂出商業時代の、あの気の弱い、やさしい性質——バレー=チームの中でもいちばん地味で、いつも縁の下の力もちだったきみが、よくもいまのようなきつい男になったものだ。
われわれ当時の仲間は、きみがか弱い女性たちにしている過酷な練習ぶりを知らされて、まったくびっくりしている。

これは、私の故郷香川県の、昔の友だちからきた年賀状の文句です。

また、わたしたちが昨年、新潟方面へ行ったときには、かつての戦友から同じようなことを直接聞かされました。

東北地方には、ともに生死の境をさまよった私の部下がの生き残りがいて、いまなおわたしをなつかしんでくれるわけですが、この連中が口をそろえていうのです。

戦地にあったころのあなたは、いま見聞きするようなガムシャラな人ではなかった。よくもあんな、人間わざとは思えないような方法(回転レシーブ)を考え出したり、それを女の子にやらせたりするような男になったものだ。」」”

人生の光明は瀬戸際にくる

 

人はある時期突然に、全く新しい自己を発見することがあるものです。苦しみもがき、ぎりぎりの瀬戸際に立ちつくしたとき、突如として訪れる光明であります。

この意味において、なにごとであれ、それをなすには、生命をかけることが要求されるのではありますまいか。

わたしは、やればできるのだ、という信念、大阪ことばでいう土性骨を、ビルマ戦線の死の彷徨(筆者註:インパール作戦のこと)の中で見出したように思います。以来、それを腹の中にすえてしまったのです。ずうずうしい口ぶりと他人にはとられるとしても、これもまた、いまは土性骨のなせるわざだ、とわたしは答えます。

・・・・・・中略

あの戦争で、このわたしの体験にまさる苦しみをなめた人もあったにちがいありません。しかもなお、私は、日本の大軍があれ以上の悲惨な状況下におかれた例はなかっただろうと思うのです。

・・・・・・中略

それでも私は死ななかった

 

それでも、とにかくわたしは生きてふたたび日本の土の上に立っていたのです。

このような経験ののちにある人間が、どのような形にもあれ、変化していなかったら、彼は最初から生きた人間ではなかったのです。

棋士の升田幸三氏は、軍隊生活を境にして、受けの将棋から攻めの将棋に転じたといっています。わたしもまた、消極性を捨てて積極性を選びました。

わたしがもつ、信じたことに邁進して動じない図太さ、いかなる肉体的困難も、精神力によって克服できるという信念、それはこの戦争体験なくしては考えられません。

******

“前記の清水さんが、笑いながらわたしによくいいます。

「おまえは学生時代、コーチに来ていた頃には、人から何を言われても、ハイ、ハイとすなおに返事をするひとつとして自分というモノを持たない男だった。若い男が、ハイ、ハイとすなおにへんじをするのはたしかにいいものだし、かれんでもあるが、どうも頼りない気もした。

その同じ男が、今では一切を自分一人でやってのけ、老人のわしなど、なにをおまえにいうたって、決して自説を曲げないやつになってしまった。どうも軍隊生活が境だな」”

わたしの事例:

東洋の魔女の事例の後に私の経験を引き合いに出すのは誠に僭越ですが、事実なので紹介します。

わたしは日本のみならず世界中で様々な経験をしてきました。日本では強迫性障害等の重度のノイローゼに苦しみ、青春時代を真っ黒色で染めざるを得ませんでした。

実際に私は中学、高校時代の卒業アルバムをこの手で燃やしています。(いつかこいつら全員ぶっ殺してやると思っていたほどです。こいつらの幾人かはひとの人生を捻じ曲げるような発言を実際にしていたからです(当時の私は吃音もあったうえで、強度の強迫に悩んでおり、廃人同然でした))


私は元々キレると爆発する性向を持っていたので、地元の不良にすら報復する人間でした。したがって、いじめられたことはありませんが、全く意味不明の最強度のノイローゼに苦しみ、今までに幾度となく自決の未遂を行ってきました。

言葉の暴力がなければここまで悪化することはなかったことでしょう。

そうこうするうちに日本に心底嫌気が差し、海外に渡航しましたが、現地で待っていたのは過酷な肉体労働でした。屈強なヨーロッパ人があまりの苦しさで泣きじゃくったり、夜逃げするような現場でした。


ヨーロッパ人はもともとイギリス人などは英語を話しますし、スペインやフランス、ドイツ人等は、英語に曲がりなりにも近い言語体系を持っています。しかし、私はアジア人なので真逆の言語を四六時中見聞き、話すことを要求されました。

よって、さらにキツかったはずです。

また、私は中米ではガールフレンドと口論になり、現地の警察に彼女が嘘の証言をしたせいで、誤認逮捕され鑑別所の牢屋生活を送ったこともあります。
冤罪だということがのちに判明したので留置所生活は3日で終わりましたが、同じ牢の人間はメキシコマフィアばかりでした。

牢屋も先進国の様なモノではなく、トイレ(もちろん牢屋の中)もパーテンションもなし、ケツを拭くティッシュもない、寝る時も石の床の上に枕なしでごろ寝するだけなので頭や体が痛くなります。(唯一の楽しみは時折看守によって配給される一本のタバコだけでした(同じ牢の者同士でタバコは廻し吸いをする))

その後、帰国してから日本で治安の悪いとされる歌舞伎町などにも幾度となく行ったことがありますが、治安の”極めて悪い”海外の一部地域に長期居住していた経験やこの誤認逮捕の体験から歌舞伎町など幼稚園の遊び場のようにしか感じないまでに変わったわけです。

また、
わけのわからない米国の治験にも数々参加もしてきたので、精神をコントロールする術を科学的な側面からも把握できたわけです。

この時点で、強迫性障害だとかそういうノイローゼ症状、さらにはパーソナリティ(感情コントロール障害)の問題は消失していました。
今では図太く暮らしております。周囲からは攻撃的で気が荒い、口が悪く図々しいと良く言われます。

性格は情緒的な繊細なモノから冷徹、面倒くさがりなモノへと変わっていきました。

結論

本項で当命題を論証できているとはとても思えませんが、
東洋の魔女の方々の実例や私自身の経験から性格というモノは一生付き合わなければならないものではなく、改造することができると素直に感じます。

幼少期の経験や親との関係、家庭環境等の環境要因は極めて重要だが、その後の経験で人は大きく変わることが出来ると考えざるを得ません。

(関連記事:)
強迫性障害は”親のせい”なのだろうか?
一人っ子の強迫性障害は深刻化しやすい【対策付き】

そもそも人間の脳はブラックボックスです。ブラックボックスということは未知の領域がかなりの割合で存在していることを意味します。

大松監督の言葉には昔から長い間私自身励まされてきましたが、彼自身、5万人の将兵が斃れた日本陸軍史上最悪と言われたインパール作戦の生き残りです。

また、東洋の魔女の練習は生半可なモノではないのはドキュメンタリーや書籍などからわかります。回転レシーブを何百回も繰り返させられるわけです。スポーツ経験者、自衛隊経験者の私から見てもあれがいかにキツイ訓練であるか身に染みて理解することができます。

加えて、私のキックボクシングの先生は学生時代、気が弱く、いじめられていたそうですが、鬼のコーチによる訓練に耐え、世界王者になりました。その人はヤクザ10人を一人で殲滅したという実話がありますが、聞くところによると、脚色なしの本当の話だそうです。
そのキックボクシングの先生に前蹴りを受けた箇所の青あざが未だに私の足から消えずに残っています。

(関連記事:)
強迫性障害を運動で克服【まとめ】

強迫性障害を自力で克服 【←ブログ記事一覧へ戻る】