強迫性障害を強迫観念を無視して克服する?

(最終更新日:2020/09/08)

強迫性障害を強迫観念を無視して克服する?

先に結論を言いますと、強迫性障害を強迫観念を無視することで克服することはできません。

前項でも説明しましたが、強迫観念゠思考、感情」を無視しようとすればするほど、逆に強迫観念は強く出るのが人間の脳の性質であるからです。

 

「強迫観念は脳の機能の現象であるともいえますし、それはもっと平易な言葉で還元して説明すれば、強迫観念とは生理現象の一種であるということができます。

 

無視しようとすればするほど、強迫観念は増していくメカニズム

人間の脳は「絶対にやるまい、絶対に失敗すまい!」と気張れば気張るほど、その心境とは正反対に、より失敗しやすくなりますし、そのことをやってしまうようにできているからです。

 

禁止されるほど余計にやりたくない心理がこれです。

 

「絶対禁止!」すなわち「そのことを考えてはいけない、してはいけない」と言われれば言われるほど、逆に「人間はそのことをしたくなってしまう」のがその常なのです。

 

↑サブチャンネルで説明しました。

強迫性障害の強迫観念を無視して克服できれば、そもそも誰もこの病気になっていないという正論:

 

そもそも、強迫観念を無視することで強迫性障害を克服できるのであれば、
はじめから誰もこの心の病気に罹患などしていないはずです。

 

なぜなら、それは自らの自由意思によって、自分自身の強迫観念を制御できることを意味するのであるからで、その話を仮に真とするのであれば、当事者は延々と強迫観念で悩み苦しみ続けているわけがないからです。

人間は生理現象を無視することは決してできません。

下記に卑近な例を挙げて説明します。

強迫性障害の強迫観念は生理現象

生理現象とは、思考、感情、雑念、認知こういったものすべてで、卑近な例をもっとあげていけば、「寒くなったら体が震えて、体温を上げようとする」。
反対に体温が上がり過ぎて暑くなれば、「自然と体が汗をかいて、放熱して体温を下げる」などいくらでも実例をこの場で挙げることができます。

 

✅「強迫観念を無視しろ!」という話は、暑くて汗が自然と出ている人に「汗を出さないようにしろ!」といっているようなモノなのです。全くのデタラメなことがわかると思います。

 

したがって、強迫観念を無視して大丈夫なわけがありません。

思考、想念、感情もすべて生理現象

強迫観念はある思考や考えに囚われ、それに拘泥してしまう強迫性障害の主要な症状のひとつです。そして、思考や考えというのは感情というものに深く結びついています。

 

つまり、強迫観念とは生理現象なのです。

 

■感情が不安定で、不安レベルが高いほど、思考や考え、雑念というものを手放すのは難しくなっていきます。

反対に、

■不安レベルが低く、感情が安定しリラックスしているほど、思考や雑念いわゆる強迫観念は自然と気張ることなく手放すことができるわけです。


このように、感情あってこその強迫観念という話になります。
そして、”その感情とは人間にとって生理現象”なのです。

 

かなり暑くなれば汗をかくのと同様に、かなり不安レベルが上昇すれば強迫観念は誰しも強くなります。(=健康な人も含める)

 

 

感情コントロール力゠思考コントロール力

したがって、「この感情という生理現象を無視する」と、どのような結果を招くか皆さんも良く理解できると思います。

感情はそれを無視し、抑圧すればするほど、逆向きのベクトルにその発露を求め始めます。

 

つまり、繰り返しになりますが強迫観念を無視しようとすればするほど、強迫観念がより強化され、強くまっていくことになるのです。

 

これは「笑ってはいけない」と笑うのをこらえるほど、おかしくなって笑いたくなっしまうのと同じ原理の話ですし、小さな子供が転んで、足をすりむいて、母親が「泣いちゃだめよ!」というと、子供は余計泣いてしまうのも同じストーリーになります。 母親に子供が「泣くな!」といわれると余計泣いてしまいがちなのは、 子供は泣くことを禁止されているからです。

強迫性障害を克服するのに「してはいけない」はタブー

強迫性障害を克服する人に「してはいけない」は禁忌ワードです。

したがって、この強迫性障害を強迫観念を無視しなさいという指導法も完全に間違っています。
何故かというと、強迫性障害の当事者は、そういわれると、強迫観念を無視しなければいけないという考えに囚われ、気張ることになってしまうからです。

先ほどもお話させていただきましたが、
「強迫観念を無視しようとすると、余計にそれは強まる」という性質があるからです。

強迫性障害を克服するのに強迫観念を無視すればいいという指導法は間違い

そういう意味合いで、強迫性障害を強迫観念を無視することで克服するという克服方法は、何の役にも立たないのが真実です。

それどころか、むしろ逆効果になります。

ある考えや思考、想念を手放すこと゠うまく流して忘れてしまうことができないから、そういう脳の機能を持っているから、強迫神経症という診断名をその人は精神科医から下されたり、自己診断しているわけでしょう。もともと、こだわりが強い性格をしているからこそ、ある嫌な考えや思念、イメージにその人は取りつかれて二進も三進もいかなくなっています。

このような状態の当事者の人にそういった脳が産みだしている生理現象を無視しろというのは酷ですし、実際、逆に悪化させることになり兼ねないと考えるのが正しい物の見方でしょう。

脳の機能の問題が先

要するに強迫性障害の克服は、このような精神論、思考法、根性論を用いてどうにかなる問題ではないわけです。
ちなみに強迫性障害の治療法に森田療法というものがあります。森田療法では神経症者に「あるがままにいろ」といっています。(私は特に森田療法を推奨しているわけではありませんのでその点はご注意ください。)

「無視しろ」とは一言もいっていません。

 

つまり、「強迫観念が生じてもその考えや感情をそのままほったらかしにしておいて、自分のやるべき作業や仕事に集中しなさい」と教えているわけです。

 

 

あるがままにいることというのは、昨今、世間で知られるようになってきたマインドフルネスと同義の概念です。

あるがままに–むしろ強迫観念はほったらかしにできれば自然に消える

般若心経の教えは「こだわるな、とらわれるな、そうすれば一切の不安は生じない」ということを平易な言葉で説明、そのエッセンスを表現したモノです。つまり、強迫性障害の強迫観念は、ほったらかしにしていれば自然と消滅するということです。

それは無理に無視してということではありません。

 

怖ければ思い切りその怖さになりきる。不安が強ければその不安そのものに自分がなりきる。そういうことを指して説明しています。それは「強迫観念を無理やり無視して、抑圧していく」という不自然な姿勢とは真逆なのです。

 

そして、その怖さ、不安そのものに自分が徹しきれれば、自然と強迫観念など消えていくということです。

しかし、これができれば地球上、誰も苦労しません。

何故かというと、座禅や瞑想を行う禅僧ですら強迫観念゠雑念、思考に悩まされるといっているからです。要するに、適度にコントロールできるようになればいいわけです。

しかも、努力してではありません。

脳の機能が正常化すれば、強迫性障害は自然と消滅していきます。

強迫観念にむしろ囚われることに徹した方が無視するより克服に良い

 

また、強迫性障害の強迫観念は無視するのではなく、開き直って徹底的にそれに付き合ってしまい、むしろ「強迫観念を徹底的に気にしよう!」とでも自分に言い聞かせた方が、症状の緩和に効果が出ます。これを逆説志向といい、ロゴセラピーといいます。

 

克服へは「無視するのではなく徹底的に気にしよう」と自分に言い聞かせた方が遥かにマシという話です。(根治には至らなくても緩和にはつながります。)

追記:強迫観念を無視することの有害性

重要なことなので繰り返しますが、強迫観念を無視することで強迫性障害を克服するというのはかなり無理がある話になるわけです。

そもそも先ほどもお話しさせていただきましたが、強迫観念自体を無視することが無事できるのであれば、そもそもその人は強迫性障害に今現在かかってるはずがないわけなんですね。

 

要するに、自分の意思によって強迫観念、思考を自由自在にある程度コントロールできるのであれば、すでにその人は強迫性障害ではないわけという話です。それができないからこその強迫性障害になるわけですね。

 

それができない強迫性障害の人に強迫観念を無視すればいいというのはかなり無理のある話です。

そういったところまで考えますと、強迫観念を無視することで強迫性障害を克服できるという話というのはかなり荒唐無稽でめちゃくちゃな話だと、感じざるを得ないというのが現実になるわけですね。

で、強迫観念とかそういった自分の感情、思考というものを無理に抑圧して無視しようとしたりしていると、自分の中に無理が生じる理由であるんですね。結局の話、無理が生じてそれによってさらに強迫性障害の症状が悪化するということになりかねないわけで、それはひとえに自然現象を無視してるからであると言うそういう話に繋がってくるわけなんですね。

 

自分の思考とか感情とかあるいはその強迫観念というものも自然に湧き上がってくる自然現象なんですね。もしくは生理現象といってもいいです。

 

そういった自然現象、生理現象を意図的に黙殺し、無視しようとすればするほど、ますますそれが逆向きに作用し、ドツボにはまっていくというのが、人間の脳の働き方なんですね。あるいは、心の働き方っていう風に言ってもいいんですけれども、無理に抑圧しない方がとにかくいいわけです。

無視するのではなく捉われた方がまだいい

抑圧するのではなくてそれに徹底的に囚われた方が無視する方法を用いるよりもはるかに害がなく、同時に効果的であるという風に言うことができるわけです。

こんな話ではありますが、この「強迫観念を無視するという行為」が非常に有害な結果を招く可能性をはらんでいるということについて一応この文章は追記ではあるんですけども、注意喚起の意味も踏まえて書かせていただきました。

基本的に、無視すればするほど逆に悪化します。

強迫観念を無視できないのは当たり前の話なのです。
汗をかくのを止めることをできる人は存在しないのと同じように。

結論:

強迫性障害を強迫観念を無視することで克服するという方法は、間違いです。森田療法の「強迫性障害はあるがままにいればいい」というのも、効果はありますが、根本解決にはまずなりません。

森田療法で効果が出るのは、何かやるべき作業や仕事に入院者を没頭させるからであって、無視すればいいというような観念論ではありません。

しかし、この療法にも当然限界があります。

強迫性障害を自力で克服するのに大切なこと (←おススメ記事です。)

それは強迫性障害は脳の機能異常が原因にある心の病気であるというのが真実であるからです。

強迫性障害を自力で克服 (←ブログ記事一覧へ戻る)

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