私の強迫性障害克服体験談

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私の強迫性障害克服体験談

このページでは、私の強迫性障害の克服体験談について詳しく記載していきます。私は他にも似たようなページを多数、別サイトで持っているのですが、このサイトにおいて、まだ強迫性障害に対する克服の体験談を書いていないので詳述していきます。(※繰り返しますが、私は強迫性障害の他にも感情系精神疾患を抱え込んだのですが、このサイトは強迫性障害についての克服のサイトであるため、便宜的にOCDに的を絞って記述しています。

特に浪人~大学時代に克服のためのヒントがあります。

この文章は、結構な長文なので時間がない方は、目次から飛ぶことができるので、そのパートのみでも読まれると良いと思います。

発症:10~12歳頃(小学校~中学校1年)

もともと私は過度に繊細な子供だったのですが、考えてみるとこの発症以前の当初から強迫性障害の兆候は既に見えていました。

たとえば、私は他人と話すということに極めて強い労苦を覚えており、当時、友達から話しかけられると、脳がフリーズしてしまい、

「喋ることができない」
「Yes-No形式でしか回答することができない(自由回答形式の会話がほぼできない)」
「モノをよく失くす」
「計画性が皆無に近い」
「適切に感情をコントロールできない」

というような脳の機能異常を示唆できる障害のようなものを既にその頃から抱えていました。

学校での勉強はできたほうだったのですが、社交性というかコミュニケーション能力が限りなくゼロに近く、ソーシャル面のコミュニケーションスキルが過度に欠乏した子供でした。

前置きが長くなりましたが、私が強迫性障害を発症したのは、小学校高学年から中学生にかけての年代※で、特に中学校に入ったころから、その症状は顕著に発現していくことになりました。(※実際、この年代に多くの方が強迫性障害を発症することで知られています。)

過去の私の強迫性障害の症状(箇条書き)

食事をとれなくなる

たとえば、母親が作った食事に毒が入っているのではないかという猜疑心が極端に強くなり、食事をとることが難しく※なりました。(※特に症状が悪化している時)

ゴミを捨てられなくなる

また、ゴミに愛着がわき、ゴミを捨てることができずに、家族によって捨てられたゴミを収集所から自ら回収しに漁りに行くという異常行動をとるようになっていました。

加害恐怖

他には、加害恐怖の症状がありました。一緒にいる誰かに対する嫌な連想が頭に次々と強迫観念として生じ、その嫌な考えが会う人会う人ごとに対して生じるため、誰かと一緒にいることが苦痛以外の何物でもなかったというのがこの頃の素直な実感です。

コラム1:強迫観念が不合理なことであることには気づいていた

自分の頭では、自分が不合理なことをしていると、気づいてはいたのですが、たとえば、「毒を盛られたのではないかです」とか「ゴミが捨てられては可哀想だ」といった意味の分からない強迫観念が頭にまとわりついて離れず、それによって、苦しめられることになっていたわけです。


↑過去の私の強迫性障害の実際の体験談(症状について)

しかしながら、当時の私は学校の成績はそこそこ優秀だったため、家族を含めて友人も周囲の人間も誰一人私の異常に気付くことはありませんでした。このような毎日毎日地獄のような日々が延々と続き、中学2年、3年と学年があがるにつれて、症状は劇的に悪化していきました。

これは下の方でも書いていますが、高校を卒業するまでずっと続いていきました。

コラム2:加害強迫が最も苦しかった

中2くらいになると、今度は加害強迫が現れ、一緒にいる相手(友人、家族など)に対する悪口を強迫的に頭で考えてしまい、その罪悪感に酷く脅かされることになりました。

相手に対する悪い思考、考えが自然と頭の中で強迫観念として現れ、その考えが消えずに毎日毎日地獄のような様相を呈することになっていたわけです。

強迫性障害克服への過渡期:高校

このような状態がえんえんと続いていったため、高校に入っても青春もクソも何もないような灰色の青春が私を待ち構えていました。

周囲の人間たちは勉強に、部活動に恋愛に、青春を謳歌していたようですが、私はそれ以前の状態にとどまっていました。そもそもそれらのアクティビティは、コミュニケーション能力あっての代物です。

灰色の青春以前の問題だった

しかしながら、当時の私はコミュニケーション能力が過剰に欠乏しており、ハッキリ言って、「それどころ」では一切なかったわけです。高校時代には強迫観念がさらに悪化し、なんと「他人に愛着感を覚える」「異性を好きになる」という意識すら私の中でわけがわからなくなっていました。

毎日毎日来る日も来る日もわけのわからない強迫観念に苦しみ、どうしようもないような状態に陥り、当時の心境を述懐すると、「とにかく青春なんて何もなくてもいいから、この強迫性障害の強迫観念から解放されたい!」というのが素直な実感だったわけです。

強迫性障害の本質

このように、強迫性障害では不合理な考えに捉われているため、まともな生活、人生を送ることができなくなります。広義的に見れば誰にでも強迫観念はもちろん健康な人も含めてあるものなのですが、これにとらわれ過ぎて、まともな社会生活、人生を送ることができないような状態になった(ている)人のことを強迫性障害と精神医学では定義するわけです。

強迫性障害の克服の兆し:浪人時代~大学時代

そんな私に強迫性障害の克服に向けた第一歩といえる躍進劇が始まったのは高校を卒業して、大学受験のために1年間の浪人生活を体験してからでした。

この浪人時代に私がはじめたことは、自分の体を鍛える、すなわち運動、筋トレの習慣をつけることでした。また、以前は縁のなかった読書の習慣もつけ、さまざまな文学作品や情報を読み漁るようになりました。

もちろん、受験生だったので受験勉強にも熱を入れました。

克服の体験談といえるエピソードの始まり

運動の習慣は、毎日5~10kmは走るジョギングをしながら、腕立てや懸垂、腹筋といったオーソドックスな筋トレを実行し、読書量としては、毎日、本屋へ行って、週に7冊は最低、本を読むようになっていました。

また、受験勉強は朝から晩まで、予備校に通う電車の中でも、街を歩いている時でも、構わずどこでもいつでもやっていました。(頭の中で覚えた記憶を再現すし、記憶に定着させる練習)

このようなことを約1年の浪人生時代に実践していくうちに私にあった強迫性障害の症状が劇的に緩和していったわけで、正直これには驚きました。昨今、「強迫性障害の克服に運動が良い」といわれていますが、私の場合では「運動をしっかりやりながら、しかも忙しい生活(悩んでいる暇のない生活)を実行したことが効いた」のだと思われます。

「やればできる!」

このことを契機に私は自信を取り戻し、「やればできる」という土性骨(どしょうぼね)のようなものが自分の中に芽生え始めたことに気づき、好きな異性に告白する勇気もモテるようになったわけでした。その後、大学に入ったのはいいのですが、当時の私には、周囲の学生のレベルが酷く低く映ったため、当時の私には耐えがたいことでした。

そこで考えたのは、「こんなくだらない学生生活を送るくらいなら、軍隊に入った方が自分のためになるのではないか」という大疑問でした。

思い込んだら命懸けみたいな極端さが当時の自分にはあったので、反対する両親を説得して即実行しました。

強迫性障害の克服と終焉:自衛隊

そのように、さらに強靭になりたいと考えた私は自衛隊に入隊することを考え始めます。

そのために、故郷に戻り、日夜、体力錬成に勤しむようになり、入隊後に行われる体力検査では中隊で前から数えた方が早いというような状態になっていました。この頃には、もう強迫性障害に悩まされることはありませんでした。(しかしながら、過剰な神経質さ、過敏さは残っていて、それが気に食いませんでした。)

できない能力でやる工夫

営内生活では、集団行動が重んじられるため重度のコミュ障であった私にはかなり役に立ちました。何故かというと、私は兄弟がいないため、自衛隊は良い社会生活のコミュニケーション能力の練習の場と私にはなったわけです。

「朝から晩まで他人との共同生活をし、必要最低限度の社会的なルール、マナーというものを学ぶことに成功した」と思っています。結局、自衛隊は合計約1年程度で除隊することになるのですが、この頃になると、強迫性障害の主要な症状は、ほぼなくなっていました。

また、周囲の人間から、「変わったね。」と、何をするでもなく自然と、よく言われるようになっていました。客観的に見ても変わったのだと思っています。

強迫性障害の克服体験談(まとめ)

ここまで私の強迫性障害の克服体験談を書いてきましたが、克服に効いたのは、運動(有酸素運動、筋トレ)の習慣にプラスして、考えている余裕のないような忙しい生活を送り、自分のやるべき課題に集中したからだと思っています。

森田療法の森田正馬は東京帝国大学在住中に、神経症の症状の悪化に伴い、落第の危機に見舞われたことがありましたが、彼は「もう死んでもいいからとにかく勉強しよう」と覚悟を決め、日夜、学習に明け暮れる日々を送っているうちに、神経症の症状は出なくなったといっています。

このときの体験をベースとして、東洋の神経症克服法として名高い森田療法を着想していくことになるわけです。

私の場合も、運動に集中しつつ、やるべき課題(受験勉強)に意識をずっと向けていたことがこの障害の克服に効いたのだと実感しています。

ちなみに、私が強迫性障害の克服のみに飽き足らず、神経質という厄介な気質自体の克服に成功したのは、その後、海外の大学で医療実験を受けるようになってからです。


↑私が医療実験に参加したロスアンゼルスにあるUCLAの研究施設

神経質さの克服というのは奇矯な形容ではありますが、実際にこのようなことも可能になってくるのは真実です。

当時の私からは信じがたいファクトです。

この強迫性障害克服体験談が少しでも参考になれば幸甚です。

沖仁宏

強迫性障害を克服【総概説】 (←ホームへ戻る)

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